1日目(東京→奈良)
インターネットのサイトに「経県値&経県マップ(http://keiken.uub.jp/)」というのがある。これをやってみたら、バイクで「通ったことはある県」はほぼすべてになった。ただ一県だけ住んだことも、泊ったことも、降り立ったことも、通過したこともない県があった。奈良県だ。奈良は名神が通っていない。だから、大阪に行くときも、九州から帰る時もこの県だけは通過もしない。バイクでは全くの未踏の地だった。ぜひ、一度は行ってみなきゃと思っていた。
そして、バイクの旅も度重ねるうちに、毎日泊るところを移動していろいろな場所を巡ることから、どこか一か所に逗留してじっくりその場所を探索するのも悪くないと思い始めていた。この二つの要素を噛み合わせると自然に春の奈良をじっくり見てみようということになる。当然の帰結だ(何が当然なんだ)。折しも奈良は「遷都1300年祭」。あの不評だったセント君もいるはずだ。そんなアホな、とは思うけれど、「今年見なければ、1300年後。」という観光ポスターも気になった。確か高校の修学旅行では、京都・奈良には行っているはずだ。その時は、クラスの好きな女の子の後ばかり追っかけていて、何も覚えていない。改めてきちんと京都・奈良を見てみたいと思う気持ちもあった。奈良に3泊、京都に2泊の予定を立てた。現地でウロウロするならスクーターの方が小回りが利くだろうと、行き帰りは辛いがPS250で行くことに決め、宿を予約したのだ。

一日目の行程は、何とか奈良にたどり着くことだ。ともかくどんな時間になっも、その日のうちにホテルに入れればいいやという感じの予定だった。ざっと500km。休憩もたっぷり入れて、8時間から9時間で行くだろうと思った。いくらスクーターとはいえ、平均で70km/hは出るだろう。走っているのが7時間、休みが2時間。のんびり走れば、いつかは必ず到着するのだ。5時には到着したいので、8時には出発ということになる。その日も気持ちはそんな感じではあったが、何かと時間が過ぎ、出発は9時少し前になった。家から東名高速までは、10分もかからない。すぐに高速上の人となり、メーター上では100kmの速度で走り始めた。今回カーナビに加え、昔使っていたガーミン製のGPSを装着して行った。これで平均速度を知ろうというわけだ。なかなか優れ物で、停止している間の時間は、この平均速度に加算しないというモードも付いている。つまり走っている間だけの平均速度が求められるのだ。走り始めは、なかなか平均策度が上がらない。しばらく50km/hのあと、60km/hの数字になる。メーターでは100km/hが出ていても所詮こんなものなのだ。
スクーターだけあって、高速の燃費はすこぶるいい。280kmぐらいは一度に走る。満タンであれば、浜名湖まで走れる計算だ。今回のルートは、岡崎から新東名に乗って、四日市を通過し、伊勢関から一般道で伊賀を抜け、奈良に入る。うまくいけば、奈良まで一度の給油で突っ走ることができるのだ。次第に平均速度も上がっていって70km/hが続く。ここからはあまり上がらない。それでも、このペースであれば、夕方には間違いなく奈良だ。順調に富士川を通り、静岡を通過する。厚木の手前で休日特有の渋滞はあったものの、そのほかは渋滞もない。何しろ休日の1000円高速を狙っての出発だから、多少の渋滞も覚悟の上だ。ガソリンの補給が1回。1回分が1000円前後だから、まあ2000円程度が燃料費。高速が東京から乗ると1500円程度。なんと3500円で奈良まで走れるのだ。高速1000円は実にありがたい。
なんとか浜名湖に到着して、まずは腹ごしらえだ。レストランに入って、のんびり食事する気にはさすがにならない。屋台で売っている焼きそばを買い、濃いめの日本茶を自動販売機から出し、トイレの横のベンチに座って食べる。50歳を超えたオッサンが人に見せられる姿ではないなあ、などと考えながら、仕事上の関係者に会わないことをひたすら願う。まあ、悪いことをしているわけではなく、それはそれである意味カッコイイのではないかとも思うが、会社で偉そうな顔をしていることを考えれば、あまり人目には触れたくはないのだ。ゆっくりとタバコを一本吸って、さあ、加須リンを満タンにして午後の部の始まり…のはずだった。エンジンをかけ、スタンドに向かう。PS250の給油口は、ちょうど足を乗せているスタンドの間にある。そこに、カーナビを乗せたタンクバックが乗っかっている。給油の度にタンクバックを外すのも面倒なので、持ち上げるようにして何とか給油するのだ。普通に慣れている店員なら、いとも簡単に満タンにしてくれる。ところがこの日、浜名湖サービスエリアは休日の人出を予想してか、対応してくれたのはアルバイトらしき店員。しかも・・、はっきり言って「おばちゃん」。スタンドでの給油など全く経験のなかった感じで、何とも頼りなげに給油を開始する。
「あれれ、どんだけ入っているかわからんなあ」。と恐る恐る入れる。ほとんど空状態だから、最低でも10~15ほどは入るはず。ところが、9リットルほど入ったところで、
「これで勘弁して」と言い始めた。なんだか馬鹿馬鹿しくなって
「もういいよ」と諦めてしまったのだ。まあなんとかガス欠にはならないだろうと、そそくさとその場を離れた。しかし、後は奈良まで一気に走れるはずが、どこかでもう一度給油する必要が出てきたということになる。しかも、あとどれ程ガソリンが残っているかわからない状態になってしまったのだ。それでも何とか走り始め、岡崎を過ぎ、名古屋湾を横切り四日市に抜けるいわゆる新東名を走っている時、もうすぐ四日市というところで、はやくも燃料の警告灯がついてしまった。100キロほどしか走ってねえぞ。
「あのくそばばあめ」と思わず呟いたのは言うまでもない。すぐに御在所というサービスエリアがあって、ここでは何度も給油している。今度は間違いなく満タンにしようと固く決心をしてスタンドに向かった。
亀山を過ぎ、伊勢関のジャンクションから名阪国道に入る。初めて走る道で、どうせ田舎道だろうと高をくくっていたら、素晴らしい道なのだ。ほとんど高速道路だ。スイスイ流れる。またたく間に伊賀に入る。疲れてはいなかったが、伊賀に興味が惹かれ道の駅「いが」で休むことにした。伊賀焼と言う焼き物があるはずで、どんな風情だろうと楽しみにしていたのだが、道の駅にはその姿すらなかった。まあ至る所忍者だらけで、伊賀と言えば忍者しかないかとなんだかがっかりして、もう休まずに奈良を目指そうと、一日目最後のエンジンをかけた。
2時間ほど走り、天理の少し手前まで来ると再び高速道路になる。西名阪自動車道だ。ここも交通量は少ない。ビュンビュン走る。郡山で降りて奈良バイパスを北上だ。もう奈良は目の前だ。しかしさすがにこの辺りから交通量は増え、のんびりな走行になる。道路の両側は、ディラーやファミレスが多くなり、都会的な雰囲気が色濃くなる。カーナビが左折を指示し、「三条大路2丁目」と何とも奈良らしい交差点を曲がる。最近ではグーグルの地図を見ると平面的な地図や航空写真ばかりではなく、シティービューとかでその場の建物まで、その場の視線で見ることができる。今回泊るホテルもあらかじめそのシティービューで見てある。それを見ておくだけで、なんだか一度行ったことがあるみたいな気持になる。おお、この景色だと、不思議に思いだすのだ。
「この辺りに看板があるはずだ、おおあった」。はじめて来たとは思えないのだ。そんな訳で全く迷うことなくホテルに到着し、一日の行程を終えた。ともかく辿り着くことが完成したのだ。ここで3泊する予定になっている。荷物を一度すっかり降ろし、長逗留の準備を始めた。ホテルと言っても当然ビジネスホテルだから、大したことは期待できない。「ビジネスホテル センチュリー」。少し古い建物だし、値段も安いので、かなり覚悟をしなければならないと思っていたが、入ってみればいいじゃないか、という気持ちになった。何しろここにしか頼れるところがない3日間となるのだ。贅沢は言っていられない。しかもホテルの方はとてもいい人で、何かと面倒を見てくれ、丁寧で、礼儀正しいのだ。気持ちよかった。これならば安心して過ごせると確信したのだった。なにしろ尼辻の駅まで1分というのが嬉しい。明日から奈良を見て回るのだが、基本は出れるところは電車出てるつもり。バイクの駐輪などを考えたら、電車の方が気楽なのだ。
部屋で少しくつろいでいると携帯が鳴った。ノブさんからだ。ノブさんも同じ時期ツーリングに出ていた。奈良の近くを通るので寄るかも知れないと言っていたことが本当になったのだ。
「どこにいるの?」と聞くと、もうホテルの下にいると言う。げげっ、何と言うことだ。すぐに降りてみると、本当だノブさんのX4が止まっていて、そこにはノブさんのでっかい姿があった。
「やあやあ、しばらく・・・」と挨拶して、当然その日奈良に泊まるのかと思いきや、すでに奈良見物は終了し、これから自宅まで帰るのだそうだ。実に、いつもながらのタフガイだ。これ以上家を空けると離婚されると言いながら、2、30分話して、ノブさんは帰宅の路についた。しかしこうして会いにきてくれるのは、バイク仲間ならではだ。どこにでも行ける足がある。だからどこへでも言ってしまうのだ。
「ありがとう・・・」と別れの挨拶を交わして、ノブさんはあっという間に消えてしまった。
さて、この日最後の予定は、もちろん晩飯だ。ホテルの方にいろいろ聞いたら、歩いていける場所にとっておきの焼鳥屋があるという。
「うーーん、今日はやっているかなあ。ちょっと行って見てきます。やっていたら予約もしておきます」。何とも親切だ。しばらくすると帰ってきて、
「シャッターが閉まったままですわ。今日は休みですねえ」。何とも残念だ。
「大丈夫です。どこかフラフラ歩いて探します」。とホテルを出て歩き始めた。ホテルのすぐ裏には「垂仁天皇陵」があるはずだ。奈良時代の代表的な古墳だ。ちょうど夕方の陽が沈む時間。いい景色があるだろうと、まずそちらに向かった。
この種の古墳は、「前方後円墳」と呼ばれている。小学校の時からそう習っている。しかし、いつも腑に落ちないことがあった。教科書でも地図でもこの前方後円墳が図や写真で示されるときは、上が丸、下が台形の形で描かれている。どう見ても「前円後方墳」と呼ぶべきに感じるのだ。ところが、実際に御陵に行って見るといともたやすくこの謎が解けるのだ。濠に囲まれた古墳の周りを歩いて古墳の正面に行く。そこには「垂仁天皇陵」と書かれている。墳自体には門も何もないが、ここが御陵の入り口ということらしい。地図で見ると古墳の一番下の部分だ。そこから見ると確かに四角い森があって、その後ろに高く丸い森となっている。前が四角、後ろが丸。つまり「前方後円墳」に間違いないのだ。たいていの地図は、北が上に描かれている。地球自体がその向きだからだろう。古墳の入り口は、必ず南にある。これはもうこの時代の鉄則で、100%入り口は南なのだ。古墳ばかりでなく、さまざまなお寺も、正式な入り口は南に作られている。南大門と呼ばれる入り口がまさに正門なのだ。地図で見たり、それをそのまま描いている教科書などは、上が丸、下が四角の前円後方墳と感じる描き方になる。どの教科書にも、入り口は南で南からみると「前方後円」に見えるので、そう呼ばれていますなんて説明はしてくれないのだ。教えられなくても、実際に古墳の前に立って見れば、即座に納得できるのだ。まあ、でかい墓だ。何故こんなにも大きな墓を造る必要があったのだろうか。亡き天皇の偉業を後世に伝えるため、なんてもっともらしい理由は、本当の理由ではない気がする。本当は、なくなった天皇のためではなく、その後の天皇の偉大さを誇示するためなんじゃないだろうか。それと、自分が死んだときにもちゃんと大きな墓を作れというメッセージだったのでないか。なんとも理解を超えるほどの大きさだった。
一日走って、かなりお腹も空いていた。美味しいという焼鳥屋がNGだったので、どこでもいいからお腹いっぱいになれるところを探しながら歩いた。
なんだか大衆的なやはり焼鳥屋が見つかった。奈良の鶏。あまり聞いたことはなかったが、まあいいかいうことで、ぶらりと入った。なかなか感じのいい店で、ビールに焼鳥から始まり、魚と日本酒を楽しんで、まあご馳走さまと言うことになった。あまり聞いたことのない奈良の鶏料理だが、これが案外おいしかった。案外というか、意外というか、期待以上の鶏だった。焼鳥にしても鶏の粒が大きいのだ。ボリュームがあるのだ。鶏自体も柔らかく、ジューシーで、東京で食べなれた焼鳥はなんだかみじめな感じだった。だから、かなりご機嫌になって、奈良の名物に鳥料理を加えるべきだなどと考えながら来た道を戻って行った。